トラディショナルタイマッサージ鳴海


 

■ 2005年03月31日

スリランカ日記1

スリランカの古都キャンディではブッダの歯が納められているというお寺に行った。仏歯自体は見ることが出来なかったが、歯を納める黄金のケースまでは到達し拝むことが出来た。
ありがたい気分でキャンディを後にし高原列車に乗って本場セイロンティーの茶畑を目指した。夕方までにコロンボに戻らなくてはならなかった為ハットンという町の駅で下車し列車よりも早いバスに乗って帰ることにした。 (続きます)
 

■ 2005年03月30日

3/30(水)

今日は夕方から出掛ける用事があった。久々に利用したい!と連絡を下さったお客様がいらっしゃったのだが、そのせいでお受けする事が出来なかった。申し訳ございません!&超残念〜!!
 

■ 2005年03月28日

3/28(月)

夜、Nさんが来て下さった。Nさんの結婚生活はかなり特殊だ。それぞれに遣り甲斐のある仕事を持ち続け、そのために離れ離れな期間が多く、たまに一緒に生活するとどうして良いかわからなくなることがあるのだそう。でもNさんご夫婦は別れず何年も共に歩んで来られた。海外に単身赴任のご主人も大変だったと思うけど、日本で暮らす女性であり奥様であるNさんには、より想像できないほどの心労があったように思う。Nさんの非常に手強い肩こりは、そんなこんなが集約してしまっているように思えてならない。
 

■ 2005年03月27日

3/27(日)

昨日無事スリランカより帰国致しました!

午後、Oさんが来て下さった。本日Oさんには当店自慢の5時間全コースをご注文頂くことが出来た。帰国早々本当に有り難いことです!この春Oさんは末のお子さんが無事学校を卒業し就職されると同時にご自身は定年され第二の人生を歩み始めるご予定だった。しかし会社の都合でそれは11月に延期されることとなってしまったが、Oさんはいつもどおり穏やかで優しい笑顔を浮かべていたのでホッとした。Oさんには長いことお世話になっているし気になる存在だ。今日はOさんの近況を詳しく知れて本当に良かった。
夜、Hさんが来て下さった。Hさんはやるときゃやる!って感じの方だ。もしもHさんと共に事故や天変地異や遭遇したとしても、Hさんの判断力はそういう緊急時ほどジャスティに冴え渡ることだろう。Hさんにアロマオイルマッサージをしていると、何故かそんな風に感じられてならない。
 

■ 2005年03月03日

3/03(木)

午前中、Eさんが来て下さった。Eさんが中心のサークルメンバーには大変地味な方が一人いらっしゃる。集まってもいつも隅っこのほうでひっそり控えめにされているのだそう。それでいい人なのだとEさんは思ってらしたのだが、ある時その方の旅行体験談をそのサークルメンバー全員で根掘り葉掘り聞き出してみると、今まで見たことがないくらいにいきいきと楽しそうに話されたのだそうだ。その時Eさんは 人は誰でも自分の話を聞いてもらいたいんだ! と思ったのだそう。Eさんは小学校の先生もされているのだが、その点では先生と言うのは本当に恵まれた職業だし、先生という職業に就いている者こそ本当はもっともっと生徒の話を聞くようにならなければいけないとも仰っていた。Eさんは以前 自分はこんな楽しいことを見つけた!この興奮と喜びの発見を誰かに伝えたい!!といったような個人の衝動が先生の始まりだと思うんだけどな〜? ともいうようなことも仰られていた。Eさんにかかってはどんな権威も太刀打ち出来ない気がする。民主主義ということを根源から、理屈よりも感覚で深く理解している方なんだと思う。

明日3月4日(金)〜26日(土)は臨時休業させていただきます。
研修の為、スリランカに行って参ります。
 

■ 2005年03月02日

3/02(水)

クレール・ドゥニ監督の パリ、18区、夜。 という映画をビデオで見た。パリ18区は満足な権利を与えられていない外国からの移民が多く住み着いている地区で、東京で言えば大久保のような所なのかも知れない。蔑まれ酷使され続けでもそれを決して受け入れ続けない若い東欧の女性と、犯罪に手を染めながら夜の蝶を続けるアフリカ系ゲイ男性の物語だった。法を犯す者たちの側に立った視点で丁寧に作られた映画だった。自分達を守る法は確かにあるが個人としては慎ましやかな生活を送るパリ市民達と、法の恩恵を受けることは殆ど出来ないが奔放な暮らしぶりの移民犯罪者達。見終わった後、釈然としないモヤモヤとした気持ちが随分と残る映画だった。正義と犯罪の根本について考えさせられる気がした。ものすごく面白かった。また是非見たい映画だと思った。
 

■ 2005年03月01日

3/01(火)

午後、Oさんが来て下さった。Oさんはお仕事で何度も与那国島へ行ったことのある方だった。僕も15年前に3ヶ月ほど、農家の手伝いで与那国島には住み込んだことがある。Oさんは与那国島がなんとも言えないくらいに大好きなのだそう。与那国島は沖縄でも離島中の離島だ。近隣の島からは遠く行き交い難かったせいか、小さいけれども太古から独自の文化があり続ける島だ。そんな隔絶され続けたからこその誇り高さを含んだ与那国島独特の静けさには、僕もすっかり参ってしまっている。与那国島好き同志!これからも宜しくお願い致します!
夕方、Mさんが来て下さった。Mさんは僕と同郷で札幌市在住の方だった。本日は出張中のお忙しい中わざわざ時間を割いていらして頂くことが出来た。大変ありがとうございます!Oさんは夏には夏の冬には冬のスポーツをされプライベートでも年中大忙しの方だった。特に冬は北海道ならではのスポーツに打ち込まれているご様子で、伺っていて懐かしいやら進化した現在の姿に驚くやらでとても面白かった。冬の北海道に、また行ってみたいな〜。