トラディショナルタイマッサージ鳴海


 

■ 2005年04月30日

4/30(土)

夜、Tさんが来て下さった。Tさんはまだ20代中盤だと言うのにお母さんと温泉旅行をされたりもする大変親孝行な方だ。Tさんには群馬と沖縄の田舎に住むご親戚がいらっしゃる。どちらのご親戚もとても大きな家をお持ちで、子供の頃のTさんはそこで遊ぶのが大好きだった。Tさんの親孝行パワーは、そんな幸せな経験がモトになってらっしゃるような気がしてならない。
 

■ 2005年04月29日

4/29(金)

大道芸人 ギリヤーク尼ヶ崎 の公演を見る為に大阪のアメリカ村三角公園広場へ行って来た。ギリヤークさんの踊りは17〜18年前に札幌で何度か見たことがあった。当時で既に50代後半だったギリヤークさんの踊りは、暗く、ハイテンションで、突き抜けていて、ハチャメチャだった。ナンマイダ〜!と絶叫しながら数珠を振り回してのた打ち回った上に、バケツで水を被ると赤フンドシ一丁で会場の周りの町内を全力疾走したりしていた。訳は分からないが気持ちのよく見える踊りをするギリヤークさんは、当時の僕を開放し勇気付けてくれた。17年ぶりのギリヤークさんは想像してたよりもとても若々しかった。手の震えや体力の衰え等、74歳の人間なりの避けられない老化現象を抱えながらも、踊りの型も質も一切変えてはいなかった。もっと大人しい踊りになってるのかなあと思って見に行ったのだけど、良い意味で期待を裏切られた。 東京公演は10月9日(雨天は10月10日)14時より、 西新宿三井ビル55広場で行われるそうです。
 

■ 2005年04月28日

4/28(木)

午前中、Eさんが来て下さった。Eさんは 楽しい 嬉しい にとっても敏感な方だ。だから辛いことは辛いだけで、その状態はホンちょっとの勇気ときっかけで誰でも抜け出すことが出来ると信じておられる。Eさんは僕が高校の頃、初めて友達らしい友達になってくれた同級生のK君に似ている気がする。型破りで行動的で明るく気さくなK君は面白い友達が多く、ずっと孤独だった僕をその仲間に引き入れてくれた。K君は自分の幸運を心から喜び、感動さえする人だった。K君は今の僕の基礎を作ってくれた一人だ。K君に出会う前の僕は、とても暗く湿っぽかった気がする。
 

■ 2005年04月27日

4/27(水)

夜、Sさんが来て下さった。久々のSさんには色々な事件が起こっていた。長年2人での踊りに慣れ親しんでいたSさんだったのだけど、今回は初めて5人編成の踊りに、四苦八苦しながらも挑戦され成し遂げておられたり、通勤ラッシュ時に十数段も階段を転げ落ち、でも奇跡的にかすり傷だけで助かっておられたりしていた!Sさんは一見とってもホンワカとした若いお嬢さんなのだが、生命力が非常に強い上に、その生命力をとても大事にし活かそうと努力される方だ。
 

■ 2005年04月26日

4/26(火)

午前中のエアドゥで札幌から東京に帰って来た。札幌ではまだ平地にもところどころに小さな雪のかたまりが残っていた。やっと雪が解けた後の草原は草が雪の重みでペッチャンコになっていた。それは冬の終わりと春の始まりを表す、とても懐かしい、北海道ならでは風物だと思った。
 

4/25(月)

前日上京していた母と共に札幌へ移動した。今日は母と車に乗って父とご先祖と母の姉のスミちゃんの墓参りをしに行った。今日のお墓参りツアーはいつにもまして楽しい気がした。お墓の前で母と冗談を言い合いゲラゲラ笑いながら故人に話しかけ感謝の言葉を述べた。今年は父にとっての七回忌でスミちゃんにとっての三回忌にあたる年だ。二人とも楽しみに待っていてくれてたように思う。
 

4/24(日)

昨日今日と僕の母が同窓会で上京していた。僕の母は北海道の北見と女満別の間の美幌町の中学出身なのだが、その中学では本州に渡った卒業生の為に5年に一度東京でも同窓会が開かれる。僕の母は父が亡くなる6年前までは父の商売の借金と世話とに追われる毎日で同窓会に出席する余裕など無かった。母が出席するのは去年の釧路で行われた同窓会に次いで二度目だった。今回の東京同窓会で母はかつての親友と50年ぶりの再会を果たした。母の親友は50年前のある日、借金のため家族丸ごとで夜逃げをした。消息不明だった母の親友は母が結婚して僕が生まれてからは母に会いたくて何度も連絡をよこして来ていた。しかし今度は僕の母の方に余裕が無くなってしまい、母はそれを無視し続けていた。母の親友は結婚後すぐに離婚し、一人で小さなスナック店を経営しながら子供を育て上げていた。母と母の親友は再会を心より喜び合った。「同窓会に出れるって言うことは、今が幸せだって言うことだ。」と昨晩二人は定義し、互いに何度も同意しあっていたようだった。類は友を呼ぶ。僕の母の周りには苦労のつくだ煮みたいな人がいっぱい集まってくる。僕は母と母の友人の話を聞くのが大好きだ。
 

■ 2005年04月23日

4/23(土)

夜、Aさんが来て下さった。超文学青年のAさんは沖縄好きな方でもあった。Aさんの沖縄の旅はリゾートでもダイビングでもなく南部戦跡巡りから始まった。Aさんはその瞬間その瞬間に出会った人や物の、色や温度や臭いを見逃さない感じのする方だ。Aさんの沖縄の旅の想い出はそんなAさんならではの、静かに染み入るような感動でいっぱいなご様子だった。Aさんには他にも色んな所へ行ってみて頂きたい。帰って来て旅行記を完成されたら、是非とも拝見させて頂きたい!
 

■ 2005年04月22日

4/22(金)

午後、久々にKさんが来て下さった。開業当時から頻繁にお世話になりまくっているKさん!しかし本日Kさんにお会いするのは実に4ヶ月ぶりのことだった。この4ヶ月でKさんには目まぐるしいほどの変化があった。不器用とも言えるほど非常に純粋なKさん。今回はその点が裏目に出てしまったようだった。でもそんな人生の受難の数々が、Kさんにより人間らしい豊かさと温かさを与えているような気がしてならない。Kさんとはずっとずっとお付き合いさせて頂きたい。
夜、Yさんのお宅へ伺った。Yさんはつい一昨日、地球の裏側から帰って来られたばかりだった。ご趣味であるレイブと言う野外音楽会を体験されに、片道30時間以上もかけて飛行機で往復されて来た。国内でも大きな芸能関係のお仕事が次々と入って来られているYさんだが、これからは上記のレイブでのコネクションを利用して海外でのお仕事にも手を広げようとされている。今、Yさんはノリにノッテおられる。頑張って下さいね!
 

■ 2005年04月21日

4/21(木)

午後、Mさんが来て下さった。Mさんは今度のゴールデンウィークの終わり頃から渡タイしタイマッサージを習おうと計画されている方だった。それに挑むMさんの熱意は僕の少しばかりの助言により具体性を増して落ち着いた感じになられた。とても意欲的で活気溢れる方だった。タイでの勉強、頑張って下さいね!
 

■ 2005年04月20日

4/20(水)

午後、Oさんが来て下さった。昨年Oさんは3週間もインドにいってらした。インドでは中部と西部の色々な町に出掛けられた。タージマハールは勿論、本場リシュケシュの道場でヨガを習われたりもされた。うらやましい〜!また、ご旅行の終わり頃からは強烈にお腹を壊されたりもしたそうなのだが、Oさんは病院にも行かず、めげずに列車と飛行機を乗り継ぎ、バンコクに4日ほど滞在された上で日本に帰って来られたのだそうだ。たくましい〜!!
 

■ 2005年04月19日

4/19(火)

今日はまだ書いていなかった過去8日分の日記を一気に書き上げることに成功した。すごくスッキリして良い気分!運動の為、これから自転車で吉祥寺に行って来たいと思います。
 

4/18(月)

午後、Sさんが来て下さった。Sさんはまだ20代の方なのだが、高校一年生の時には親御さんの強いススメで「ピースボート」を利用して、東南アジアの各国を巡られた経験をお持ちの方だった。ベトナムではべトちゃん&ドクちゃんの入院している病院を訪れたり、インドネシアでは山奥の村にある伝統的家屋に泊まって夜通し地酒を飲み交わしたりされたのだそうだ。さすがはピースボート!と唸らずにはいられない渋く充実した内容の旅をされたようだった。高校生の頃からそんな異文化に触れておられたなんて本当に羨ましい限りだ。実際に出会い交流することが、差別や偏見をなくす最良の方法だと僕は思う。Sさんのような方やSさんの親御さんのような方がもっと増えれば、世の中はもっともっと平和に豊かに楽しくになっていくような気がする。
 

■ 2005年04月17日

4/17(日)

夕方、Hさんが来て下さった。Hさんはなんと言うか 心配無い! って周りの人々に感じさせる方だと思う。ご自身の根本と表面とが常時フレキシブルに繋がっておられる気がする。現在の東京で、日本で、このような自然体でいられることはすごく重要で稀有なことだと思う。Hさんにアロマオイルマッサージをする度毎にそんな思いにかられてしまう。
 

■ 2005年04月16日

4/16(土)

午後、Kさんが来て下さった。本日Kさんはバイクでウチへいらっしゃった。バイクは水道道路の歩道に停められ、そこからウチまで歩いて直接来られた。ウチには初めていらっしゃると言うのに、なんという土地勘の良さ!Kさんは大変お洒落な方でもあった。真っ赤なズボンに黒い皮の上着とお帽子姿。この格好でバイクを飛ばされるKさん。さぞかし颯爽と目立っておられることでしょう!
 

■ 2005年04月15日

4/15(金)

午後、Tさんが来て下さった。Tさんは初めてのタイ旅行の際にバンコク・カオサンで受けられたタイマッサージがのことが忘れられないのだそうだ。Tさんが利用したお店では薄暗い大きめの部屋一面に数々のマットが敷き詰められていた。そこで受けたオバちゃんの腕の良さも勿論だが、それと併せて隣のマット上で働くもう一人のオバちゃんとの止まらないトークに、Tさんは大感動されてしまったようだった。マッサージの最中に従業員同士でずっとおしゃべりしてるなんて、日本では考えられないしイケナイことでもあるだろう。タイだから許される、タイならではの緩さに、Tさんの心は鷲掴みされてしまったように思う。
 

■ 2005年04月14日

4/14(木)

午前中、Sさんが来て下さった。(昨日からの続きです。)羨ましい〜!と思うと同時にちょっと心配な気持ちにもなってしまった。それだけの華やかな生活を続けられていると言うことはそれだけの責任を追う立場や人間関係を作られていることだと思う。僕のような貧乏人は全てを失っても高が知れているし誰に迷惑をかける事も無い。しかしSさんのように人を束ねるような立場や財産を持っておられる方はどうだろう?一つ一つの行動や決断が遣り甲斐にも足枷にも人一倍大きく繋がってゆくと思う。大きな運命を持って生まれたSさんの心労は、僕には計り知れないものがあるように思う。己の運命を受け入れ孤軍奮闘するSさん。第一印象から受けるSさんの見た目の輝きは、実はSさんの芯から発せられているような気がする。
夕方、Nさんが来て下さった。Nさんはまだ4月だと言うのに精悍に黒々と日焼けされている方だった。Nさんはつい先日までタイ・チェンマイに滞在されていた。チェンマイでは主にタイマッサージの勉強をされながら、空いた時間はホテルのプールでお身体を焼きまくる!と言う大変充実したバカンスを過ごされたご様子だった。タイがとってもお好きなNさんなのだけど、一番にお好きなのは香港なのだそうだ。本日お召しになっていたユニークでお洒落なジャージの上着は香港で購入されたものなのだそうだ。香港はそういった買い物も含めて魅力的な街なのだそうだ。僕もいつかは香港に行ってみたい!
 

■ 2005年04月13日

4/13(水)

午後、Sさんが来て下さった。ななななんと、Sさんは!初めてのご利用にもかかわらず5時間全コースを2日間連続でご予約していらして下さったツワモノ中のツワモノな方だった!!本日明日の合計で10時間のご予約だった。大変勇気あるご決断をされる方だと思った。本当に嬉しくて有り難くてたまらなかった。一体どんな方なのだろう?と思い実際にお会いして見ると、これまたスゴ〜イ方だった!一言で表すなら まるで外国の王子様 のような方だった。Sさんの見た目と実生活には、優雅さ、豪華さ、品の良さが溢れていた。本日滞在されている都心のリゾートホテルよりウチまではタクシーで来られたし、携帯されているクレジットカードはゴールドで、飼われているワンちゃんはエジプト産の犬種だ。(明日へ続きます。)
 

■ 2005年04月12日

4/12(火)

午前中、Tさんが来て下さった。Tさんは離婚された経験をお持ちの方だった。Tさんの前妻さんはTさんの性格の根幹に繋がる癖を許すことが出来なかった。前妻さんとの間に儲けられたお子さんとは週に何度かは会えるけど、親権は前妻さん側に有る上に結構な額の養育費も支払って行かねばならないのだそうだ。Tさんはそんな苦難を乗り越えられ現在を明るく思い切り良く生きているせいか、僕よりずっと年下の方なのにたくましく頼り甲斐のある感じのする方だ。Tさんの現在の彼女さんはTさんを自由にしてくれている。TさんはあるがままのTさんを好きになってくれる方とやっと出会えたのだと思う。あるがままのその人。どうしても変えることの出来ない癖。今日もかなり勉強になった。
 

■ 2005年04月11日

4/11(月)

午後、Hさんが来て下さった。Hさんには心から愛しいと思える方がいる。Hさんとその方との親交はちょうど初めてウチをご利用して下さった頃から続いていて、先日はついに温泉旅行を揃って楽しまれるほどの仲に進展されていた。年の差は親子ほどもあるそうなのだけどお二人の純真さは年齢を超えて響きあっておられるようだった。Hさんだからこそ体験できる、まさに恋の奇跡!とも言うべき関係だろう。
夜、Nさんが来て下さった。本日Nさんには自家用車で来ていただけた。しかしウチのすぐ近くにはコインパークは無く、ちょっと離れた分かり辛い場所に有ったりする。大変お手数お掛け致しました。ご利用まことにありがとうございます!
 

■ 2005年04月10日

4/10(日)

午後、Mさんが来て下さった。Mさんは最近実家と自宅との往復を夜行バスで何度も繰り返しておられる。ご高齢のお母さんの具合が突然悪くなったり良くなったりする為なのだそうだ。その影響でMさん自身のお身体の調子も悪くなるし、ご趣味であるご夫婦揃ってのご旅行も最近はお預けになってらっしゃるのだそう。最後の大きな一山だと思います。頑張って頂きたい!
夜、Mさんが来て下さった。Mさんは朝方まで眠れないことが多いのだそうだ。僕などは好き嫌いは別にして難しかったりややこしかったりする本を読むとすぐさま眠くなるタイプなのでその方法をMさんに提案してみた。ところがMさんはそう難しい本を読むとかえって好奇心が刺激されてドンドンと読み進んでしまう方向に行ってしまうのだそうだ。それは真面目で誠実な方ならではの悩みのように思う。
 

■ 2005年04月09日

4/09(土)

午後、Mさんが来て下さった。Mさんにはここ最近までの20年間というもの、お仕事と親御さん達の看病と弟さん達のお世話と家事とに大忙しで明け暮れていた。そんなのっぴきならない長い間を踏ん張って頑張って来られた方らしい、突き抜けた明るさと思いやりに溢れた方だった。Mさんには本日遠く中京からいらしていただいた上に、なんと初回だと言うのにいきなり5時間全コースを利用していただいてしまった!Mさんのような方が信じて賭けてきて下さったのだと思うと胸がとても熱くなってしまう。
夜、Mさんが来て下さった。Mさんは某店様で初めてタイマッサージを受けた際に大変感動され、その後その某店様で何ヶ月間もタイマッサージを習ってしまったくらいだった。Mさんはタイマッサージを通じて 自分に血が流れている感じ を初めて実感することが出来、とても嬉しく思ったのだそうだ。それはとっても比喩的な表現だと思った。現代の日本に、東京に住む人間が、最も必要とし得なければならない感覚だと思った。Mさんを紹介して下さった某店様には感謝してもしてもし足りないくらいです。
 

■ 2005年04月08日

4/08(金)

夜、Nさんが来て下さった。Nさんは精神世界に深い理解をお持ちなのだが、ご自身は一所に留まること無しにそれを実践的に広げて行きたい!と考えている方だ。Nさんの尊敬する年配のインド女性の偉人は世間に何事かが起こるとと数日間眠らなかったりしながら精力的に行動する方で、でもその割りにはお弟子さんの数や道場の規模は大きくは無かったりする。「自分は指導者ではなく掃除婦でありたい。」これはそのインド女性の座右の銘だそうだ。彼女の思想はNさんの行動を通して地道に着実に、日本でも広がって行くことだろうと思う。
 

■ 2005年04月07日

4/07(木)

夜、Sさんが来て下さった。Sさんはずっとスポーツクラブのインストラクターさんをお仕事にされている方なせいか信じられないくらいにお身体が柔らかい。でも筋肉はコリコリで肩などとても硬い。以前激しめの捻挫をした後遺症で左右のふくらはぎと左右のふとももは互い違いに太く細くなってたりする。でもSさんはそれでへこんだりは全くしない。それどころか最近は新しく始めた踊りに熱中してたりする。僕より年上なのに大変お若く見えるSさん。若さの秘訣をちょっとだけ伝授していただけた気がする。
 

■ 2005年04月06日

4/06(水)

夕方、Tさんが来て下さった。Tさんは文章を書く仕事をしてらっしゃる。こんなヘッポコな日記や作文しか書けない自分が言うのもなんですが、Tさんの文章は温かくて飲み込みやすくて素晴らしいと思う。Tさんは文章の方が上手く話せるのだと言う。実際に話すと伝えたいことを伝えられなかったりすることが多いのだそうだ。そう言ってた時のTさんは熱を帯びてはにかんでいた。恥じらいが表現の原動力になっている方なんだと思った。Tさんは色っぽい。
 

■ 2005年04月05日

スリランカ日記4

スリランカの蚊取り線香は日本と同じで渦巻き式だった。スリランカではninjaって言うブランドの蚊取り線香も売られていた。モスキートコイルの元祖は日本なのかも知れない。 蚊には毎晩必ず2〜3ヶ所、手足ばかり狙われ刺されていた。日によって刺されても痒くない時もあったが、痒い時は一度目が覚めるとしばらく眠れないくらいだった。 でもそんな悩みともこれでオサラバだ!蚊取り線香を点けると勢い良く燃え煙も沢山出た。安心して眠りについたら夜中また蚊に刺された。電気を点けて蚊取り線香を確認してみると既に燃え尽きていた。天井のファンの風が強いせいか必要以上に勢い良く燃えてしまうようだ。このペースで行くと毎晩3〜4枚くらいの蚊取り線香が必要なことになるし、その度に一々点火しに起きなくてはならない。 「蚊は出なくなった?」「おかげさまで!もうバッチリです!」 蚊取り線香作戦は諦め、毎晩すすんで蚊に刺されることにした。 ある日コロンボ市内の路線バスに乗るとミントのようないい香りをさせている何人かに遭遇した。それは「シダレパ」といってスリランカでは最もポピュラーな軟膏の香りであるとホームステイ先の家族が教えてくれた。 「これを塗ると蚊にも刺されないのよ。」 これだ!と思い、早速その夜手足に塗って寝てみた。すると翌朝まで全く蚊に刺されず、大変気持ち良く目覚めることが出来た! ようやく見つけたスリランカでの安眠法だった。でもそれは帰国する僅か2日前に発見された。
 

■ 2005年04月04日

スリランカ日記3

スリランカでは約3週間ホームステイをした。ホームステイ先の家族は全員がとても親切だった上に、そこのお母さんの作るスリランカ料理は最高に美味しかった。僕はここの家族がすっかり気に入り自分のことも気に入って貰いたくなった。 僕に用意された部屋は普段使ってないお客様用でとってもキレイだった。しかし西日の良く当たる部屋でもあり、夜は暑くて地獄だった。 天井に吊るしてある大きなファンを最強に合わせても全然涼しくならなかった。このままではたまらないと思い、窓を開けたらちょっと涼しくなった。 しかし今度は蚊が入って来た。蚊に食われるのが嫌だったので最初は窓を閉めて寝ていた。その時は暑さで1時間ごとくらいに目が覚めてしまい、就寝直後などは「脳味噌が暑い!」という今までに持ったことの無い自覚をして目覚めることもあった。なので僕は蚊に食われはするけど割と涼しい「毎晩窓を開け放して寝る」ことを選択した。 ホームステイ先の家族が僕を気にかける。「あの部屋ちょっと暑くない?」「ううん全然平気!僕はちょっと暑いくらいの方が好きなんだよね。」「蚊は出ない?」「ちょっとだけ出るよ。」「じゃあ蚊取り線香を用意してあげる!」こうして僕の部屋に蚊取り線香がやって来た。(続きます)
 

■ 2005年04月03日

4/03(日)

午後、Mさんが来て下さった。Mさんの最近はハプニングの連続だった。朝起きるとお部屋のドアノブが血まみれになっていたり、旅行で留守をしている間にMさんのお部屋がボヤを起こしていると嘘の情報が流され消防車がやって来て部屋を覗かれたりした。何れもMさんのお部屋の真上の住人の方が起こした間違いでMさんには何の関係もない騒ぎだったのだが、周りに住む人々の勘違いな不安は随分とMさんにむけられたのだそうだ。そんな中、Mさんは一瞬落ち込みはするのだが、すぐに「これはかなり珍しい体験をしている!」と思い、ワクワクしてしまうほどになるのだそうだ。なんたるポジティブシンキング!Mさんはユーモアに溢れた方だと思う。
夕方、Hさんが来て下さった。今日の昼は久々に暖かかったけど、やはり夕方になればそれなりに寒くなった。なのでHさんへの施術時には疑いもせずに暖房を付けていた。ところがHさん的には今日の夜くらいの気温がちょうど良かったらしく、暑さに耐えていたHさんは施術後に開けた窓からの外気を殊の外気持ち良さそうに浴びていた。Hさんが暑がりさんなのは前から存じ上げていたが、まさかこれほどまでだとは思わなかった。次回からはもっと涼しい状態で施術出来るように工夫したい!
 

■ 2005年04月02日

4/02(土)

午前中、Kさんが来て下さった。Kさんのお宅には新築当時に植えた桜の木がある。それは毎年見事な花を咲かせながら驚くほどのスピードでスクスクと育っているのだそう。この春Kさんの上のお孫さんが中学校に入学された。本日見せて頂いたお孫さんの入学記念写真はその桜の木の下でKさんのお下がりのスーツを着て写されていた。感慨深い一枚だと思った。
午後、Yさんが来て下さった。この春からのYさんの生活は,それまでのことを考えると非常に穏やかになってらっしゃるようだった。Yさんは辛かったりしても相手に伝えることが出来ず一人で頑張ってしまう傾向が強いように思える。よく考える方だから容易には感情を吐き出すことが出来ず、その間にご自身の内面で何度も葛藤し続けるのだと思う。Yさん特有の情けの厚さと熟成された感情は,こうして出来上がるのだと思う。
夜、Kさんが来て下さった。Kさんは勤務先までの通勤時間がやたらと長い上に、最近残業の多い部署へと移動になってしまった。Kさんの平日の睡眠時間はやたら短い。そのせいでお身体はコリコリになっていて、Kさん大丈夫かなあ?とお話を伺いながらハラハラしていたのだが、Kさんの職場での存在感みたいなものがわかるとちょっとホッとすることが出来た。Kさんはパンチのある一言で周りの同僚を笑いに沸き立たす、とても明るい方だった。そう言う方なら大丈夫だろう!と思った。
 

■ 2005年04月01日

スリランカ日記2

ハットンのバスターミナルではすぐにコロンボ行きのインターシティバスが見つかった。車体は日本の中古のマイクロバスだがインターシティはコロンボまでノンストップで3時間半。オンボロだけどエアコンもガンガンに効いていて非常に快適だ。迷わず乗り込みすぐに出発となった。
ノンストップと思われたバスは途中3回ほど運転手の都合で停車した。一回目は道端に自分の知り合いを見つけたようで世間話をしに。二回目は沢の脇にバスを止め車掌に自分のペットボトル水筒に飲み水を充填してくるよう命じていた。
そして運命の三回目は走り知り始めてから約一時間後、道端で警察に捕まっている知り合いを目撃してしまったようで、下り坂で茶畑の崖上の路肩にバスを緊急停車させ警察と知り合いとの話し合いに入り込んで行った。反射神経は良さそうだが集中力に欠ける運転手さんだと思った。
またか!&まだかよ〜!と満員の乗客一同とバスの中で待っていたら、突然サイドブレーキが切れてバスが坂を下り始めた!それと同時に後方から追い越そうとして来た大型バスの後部に僕の乗っているマイクロバスの右前部が、ガーンという衝撃音と共に結構派手に接触してしまった!それからすぐに助手席に乗っていた乗客が運転席に座ってサイドブレーキを引き直し再停車となった。そのまま進んでたら崖下の茶畑にバスごと転落してたかも知れない。
マイクロバスの運転手は大型バスの運転手にこっぴどく叱られていた。マイクロバスの右前部の運転席のドアは壊れ閉まらなくなってなってしまった。これではこの先進むことが出来ない。大型バスが接触した左後部には傷が付いただけで運行には支障がなさそうだった。大型バスもコロンボ行きだった。でも既に満員だ。
どうするのかな〜&嫌な予感がするな〜と思ってたら案の定、その満員の大型バスにマイクロバスの乗客のほとんどが無理無理に乗り込まされるハメとなってしまった。大型バスの車内はラッシュ時の山手線のようにギュウギュウ詰めとなった。バスはその状態で茶畑山岳地帯のグネグネ道を遠慮無しにブッ飛ばして行く。車酔いし易い僕は過呼吸気味になり手が痺れ何度も吐きそうになっていた。大型バスはインターシティよりも遅い普通のバスでコロンボへは事故が起こった場所から3時間半後に到着した。
ありがたい仏歯を拝んだ直後だったと言うのに、久々にものすごく辛い経験を積んでしまった。 なんか余計に悔しい気がした。