トラディショナルタイマッサージ鳴海


 

■ 2004年12月31日

12/31(金)

今日は北海道のような大雪の日だった。雪の中、自転車で年越しそばとかを買いに走り回った。なんか懐かしかった!
 

■ 2004年12月30日

12/30(木)

午後、Yさんが来て下さった。Yさんは大学に通われつつもお仕事を続ける大変な頑張り屋さんだ。そんなYさんの必死なまでの頑張りパワーは 親孝行したい! という一心から沸き起こっている。しかし現在のYさんとご両親の距離はあまりにも近過ぎて、ご両親はYさんの雨後の筍の様な成長の著しさをなかなか認められずにおられるようだった。YさんにもYさんのご両親にももっともっと自由になっていただきたい。一つの大木から小さな枝を切り離し他の株へと接木をすれば、後々には二つの大きな柱となって支えあうことが出来るようになる!と僕は思う。
 

■ 2004年12月29日

12/29(水)

タイが津波ですごいことになっている。プーケットもピピも何度か行ったことのある思い出の島だ。特にピピの地形や町の様子を考えると惨状は容易に想像することができる。日本の被災地に対してよりも何故だか身近に感じられ胸苦しい想いがした。自然災害は本当に怖ろしい。
 

■ 2004年12月28日

12/28(火)

週の半分以上は晩御飯を食べた後、自転車で吉祥寺まで往復することにしている。この運動習慣も始めてからもう二ヶ月ほどになる。往復2時間もかかるのだけれど、プールで歩くよりもジョギングするよりも自分にあってるような気がする。苦しい!と感じずに続けることができていると言うことは、かなりポイントが高いことだと思う。やっと自分にあった運動を見つけることができたような気がする。
 

■ 2004年12月27日

12/27(月)

新年1月10日に小岩の沖縄料理屋でライブがある為、夜にシーサーズの練習をしにかんじゃーやへ行った。しかし練習はあまり進まず、僕は五歳児ミチルと遊んでばかりいた。オチャラカホイ!というジャンケン唄遊びを思い出したのでミチルに教えてみたら結構好評だった。せっせっせーのよいよいよい、み〜かん〜の花が〜咲〜いている〜、なんてのもあった気がする。そういう子供の頃の遊びネタをもっといっぱい思い出して、次回の対ミチル戦に備えたいと思う。
 

■ 2004年12月26日

12/26(日)

実は今日もランチバイキングに行こうと思っていたのだけどギリギリのせめぎ合いの末で理性が勝ったので昼食は松屋で取ることにした。チゲ鍋定食490円を頼んだ。付属の温泉卵とライスをチゲ鍋に入れて食べた。ウマイ!なんてウマイ!バイキング依存症の心と胃袋にかなり響いた。安さといい、目を覚まされる美味しさだった!
 

■ 2004年12月25日

12/25(土)

夕方、Hさんが来て下さった。Hさんが子供の頃、Hさんのご実家は下宿屋さんを営まれていた。なのでHさんのお宅にはHさん家族の他に常時5〜6人のお兄さんが共に住まわれ、Hさんはそのお兄さん方に大層可愛がられて育ったのだそうだ。なるほど!と思った。Hさんの謎が一つ解けた気がした。Hさんは僕とほぼ同年代の方なのだが、なんと言うかすごく 風通しの良い 印象を受ける方だ。Hさんの珍しいほどの素直さと伸びやかさは大家族で育ったからなんだと思った。Hさんには僕のような核家族で育った人間には出しようの無い味わいがある。
 

■ 2004年12月24日

12/24(金)

夜、五歳児ミチルへのクリスマスプレゼントを置きにかんじゃーやへ行った。帰りにミチルのウチに寄ったらちょっと呼び止められ、最近乗れるようになった自転車での暴走姿を見せられた。五歳にして補助輪無し!の自転車でハイスピードで走り回るミチル。ビックリした。まだまだベイビーだと思っていたミチルから突然お兄ちゃんっぽい部分を見せられて頼もしかったり淋しかったりの気持ちになった。
 

■ 2004年12月23日

12/23(木)

今日もランチバイキングに行ってしまった。最近バイキングに行くペースが早くなってきている。週に一度行くか行かないかだったのが週に2回〜3回に増えてきてしまっている。ヤバイ〜!でも幸せ〜!
 

■ 2004年12月22日

12/22(水)

午後、Kさんが来て下さった。本日Kさんからはなんと!当店自慢の5時間スペシャルコースを利用していただくことが出来た。大変大変ありがとうございます!12月のKさんの職場はものすごく忙しい。倒れてしまうのでは?と思うくらいの残業続きだ。明日も残業の筈だったのだけど本日急に休みになることが決定したのだそう。前々から計画されていた職場の工事が突然決まった為なのだそうだ。それは天の助け!だと思った。これを機に十分に休養を取って休み明けに備えていただきたい。頑張って下さい!
 

■ 2004年12月21日

12/21(火)

お昼に、Tさんが来て下さった。Tさんはマッサージ好きな方だった。過去に本場タイ・プーケットでもタイマッサージを受けたことがあったそうなのだが、そこはちょっと怪しげでHなことをメインにして成り立っているようなお店だったので期待外れだったそうだ。僕のタイマッサージは気に入っていただけたご様子で本日の施術後には、楽になった!と仰っていただくことが出来た。嬉しい〜!
夜、Hさんが来て下さった。Hさんにとって、友達や仕事仲間やサークル仲間や恋人などという人間関係を分ける枠みたいなものはあまり意味を持たないようだ。どんな関係の相手だとしても、その人が笑えばHさんも楽しいし、その人が困れば困るほどHさんも深刻になって行く。Hさんは相手の気持ちと一体になりやすいし、頑張ってなってくれもする方だと思う。Hさんにはまるで子供のような、ご自身ではコントロールし難いほどの純真さがあるのだと思う。優しいと言うこと。今日はその仕組みみたいなものを突っ込んで知ることが出来たような気がする。
 

■ 2004年12月20日

12/20(月)

よく行く大久保のタイ食材店でセールをやっていた。インスタントラーメンが一個50円だったので20個買って帰って来た。
 

■ 2004年12月19日

12/19(日)

お昼過ぎ、Hさんが来て下さった。タイマッサージをすることはお客様と無言で会話をするようなものだと僕は常日頃感じているのだけど、Hさんとの施術時間はまさにその通りになる。施術中のHさんは言葉少なだけど、僕の指使いの一つ一つに対してとても素直で丁寧な反応を示される。Hさんの影響で瞬間瞬間に嘘の無い施術をする癖が身に付くようになって行く気がする。僕のタイマッサージはHさん他お客様の皆様に育てられる。本当に有り難い。
 

■ 2004年12月18日

12/18(土)

古くからの付き合いの友達に会った。僕と同じ年だけど先週から農家に転職して頑張っている。彼の清さは見習って行かねばならない。
 

■ 2004年12月17日

12/17(金)

最近寒いけれどお客様がいらして下さった時と夜にしかストーブは付けない。普段の昼間はジャージを二着重ねてその上にパーカーを羽織って頑張っている。節約節約!
 

■ 2004年12月16日

12/16(水)

午後、Mさんが来て下さった。Mさんのご家族は大変な酒豪一家なのだそうだが、Mさん自身はもともとまるで飲めない体質だったのだそうだ。以前は僕と同じで、なんでこんな苦い水が美味いのか?と思っていたのだそう。でもMさんは頑張った!それは仕事後のお付き合いにお酒は欠かせないからだった。色々な工夫をしてお酒の味に慣れていったMさん。何気ないことにも対しても真面目に長期戦で努力をするMさん。そういう方のお話には何故だか胸がジーンとしてしまう。
夜、Yさんが来て下さった。先月のYさんはものすごく忙しかった。Yさんは忙しければ忙しいほど海外の辺ぴな場所へ行きたくなってしまうし実際に今までもそうされて来た。奥さんがいてお子さんがいて寝たきりのご両親がいて、そのご自身のご家族すべての方々への義務は果たし尽くした上で、尚且つYさんは旅にも出られる。すごいパワーだと思う。
 

■ 2004年12月15日

12/15(水)

夜、Aさんのご宿泊へ伺った。Aさんはまだお若いと言うのに驚くほど家族思いで親孝行な方だった。ご両親の不仲の仲裁役をAさんはなんと中学生の頃から引き受けていた。現在Aさんはお母さんと二人で暮らし休みが合えばお母さんを旅行に連れて行かれたりお母さんの健康の為のジョギングに毎日付き合ってあげられたりしている。Aさんのお母さんは辛かったり悲しいことがあるとAさんの前で泣いてしまうのだそうだ。Aさんはお母さんのそんな姿がかわいそうで見てられなくてたまらないのでお母さんからは片時も手が離せないのだそうだ。Aさんの現状の厳しさはAさんだからこそ引き受けられるし引き受けさせられもするのだろうと思う。Aさんは非常に世話好きで優しい方だ。Aさんのようなタイプの頑張り屋さんがこの先報われない訳は無い!
 

■ 2004年12月14日

12/14(火)

今年もタイの王様のカレンダーを貰った。早速去年のと取り替えた。これを飾るとタイ庶民のウチっぽくなって断然良い。僕にとってこのカレンダーは素敵なインテリア的存在だ。
 

■ 2004年12月13日

12/13(月)

これからは、来年は、いったいどういう風にしたらより良くなるのか?今日はずっと考えていた。
 

■ 2004年12月12日

12/12(日)

夜、とあるダイビングクラブの忘年会があって、そこでの余興に アンチャンプロジェクト がお呼ばれしたので僕も踊り子として参加した。去年に引き続き二度目の参加だ。宴会はとても和やかで、そこでの盛り上げのお手伝いはとても楽しかった。ご飯はイタリア料理のコースだった。チーズたっぷり!というか具が大量のチーズだけのピザや小さなタコやアサリの入ったシーフードのカルボナーラスパゲティがとても美味しかった。
 

■ 2004年12月11日

12/11(土)

午前中、昨日利用していただいたFさんからお電話があった。一晩たっても身体が軽く快調である また利用したい といった内容のお言葉をいただいた。嬉しくて嬉しくてたまらなかった!こういったご利用後のお言葉をお電話やメールや掲示板でいただく度に、そしてまた実際にリピート利用していただく度毎に、あぁ自分はまだ許されているんだなあ、まだこの仕事を続けていても良いんだなあ、という幸せな気持ちにさせられる。ウチを利用する気になって来て下さる皆様方のご好意によって僕はなんとか生きながらえているんだなあと最近特に強く実感する。奇跡的で不思議で有り難いことだと思う。
 

■ 2004年12月10日

12/10(金)

午後、Fさんが来て下さった。Fさんは遠く関西から東京に出張に来られていて今回はお忙しいお仕事の合間を縫ってウチにいらして下さった。Fさんは大変なコリ性で月に2〜3回はマッサージを受けらているのだそう。こういったマッサージ通の方への施術はいつもながら緊張するものがあるのだけど、今日は施術後にFさんから 身体が軽くなった! と仰っていただくことが出来た。良かった〜!
 

■ 2004年12月09日

12/09(木)

今週のお昼は月曜からずっと納豆ご飯だ。ちょっと前に超マイブームだった納豆&チーズご飯はやっぱりちょっとくどくて食べる気にならなかった。今週は納豆にナンプラーとレモン汁をかけ、あっさり?めにいただいている。
 

■ 2004年12月08日

12/08(水)

午前中、Eさんが来て下さった。Eさんは外国の言葉が大好きだ。タイ語は勿論のこと、世界10カ国以上の言語を嗜まれる。嗜む という言い方が本当にしっくりくるほどEさんは語学を楽しまれている。まずは各言語の持ち合わせている音自体を楽しまれ、その音から連想される意味を想像され、本当の意味を知った時には想像されていた意味との落差に驚きつつもこれまた楽しまれる。そんなEさんなので、海外の方々との出会いと結び付きの感動は人の何十倍にもなっているように僕には見えた。遠く離れた外国の方の国に文化にその人に、興味を持ってしかもそれを楽しみとしながら接するEさん。外国の方にとってこれほど嬉しく心強くなる接し方は他に無いだろうと思う。差別や偏見を本当に無くして行けるのはEさんのような考えの方々だと思う。
 

■ 2004年12月07日

12/07(火)

午後、Tさんが来て下さった。Tさんは美容や健康の為にではなく身体自体を動かすことが大好きな方だ。一番お好きなのはベンチプレスなのだそうだが、数年前からは長距離走にもはまられ続けられていて年に数回は国内や海外のフルマラソン大会に出場されるほどなのだそう。その為の食事調整やトレーニングはTさんの普段からの日常に組み込まれている。トレーニングは長く孤独なもので、その間Tさんは色々な事を考えられるのだそうだ。Tさんはマラソンは自分との戦いだと言う。他の人と比べる必要は全く無いと言い切られる。Tさんはまるで禅を極められた和尚さんのようだと思った。
 

■ 2004年12月06日

12/06(月)

尊敬する西原理恵子とその元夫である鴨志田穣の最新共著 ばらっちからカモメール〜最後のラブレター〜 を読んだ。鴨ちゃん(鴨志田穣)は酒乱でアル中だ。バケツ一杯ほどの血を吐いての入院手術を繰り返してもお酒はなかなかやめられないようだ。西原理恵子はそんな鴨ちゃんとついに離婚した。その経過は西原理恵子の漫画でも取り上げられていたが、本書ではそれが鴨ちゃんの視点で詳しく書かれていた。今回の鴨ちゃんの文章には創作ネタっぽいものが少ないように僕には見える。直球勝負の痛々しさや生々しさやタドタドしさを感じる。でもその分とてもリアルで読み手が自分の中で消化していろいろと思いを巡らす自由度は非常に高いようにも思える。僕の父も酒乱でアル中で晩年は糖尿病で人工透析してる上に壊疽で片足を切断してもなお酒を飲み続けていた。そういったタイプの人はどんなことを考え続けているのか?鴨ちゃんの文章を読んでいると僕の父のこともわかって来るような気がする。
 

■ 2004年12月05日

12/05(日)

午後、Nさんが来て下さった。Nさんは元々は左利きの方だった。子供の頃にはよく お箸を持つ方が右手 などと教わるが、左手でも器用にお箸を持つことが出来た子供の頃のNさんにとってそれはあまり意味を成さない言葉だった。困ったNさんはご自身の片手の甲にあった小さなアザを目印にして左右を判別するようになったのだそうだ。そのせいで今でも咄嗟の時の左右の判断は暗闇の中だと間違われることが多いのだと仰っていた。自分の中にあった常識がバラバラに分解され組み立てなおされるような気がした。凝り固まった観念はもっと疑い検証して行かねばならないと思った。
夜、Hさんが来て下さった。今日は12月だと言うのに大変暑かった。いわゆる異常気象は本当かも知れないと実感した。Hさんもここ数年の異常気象には敏感で去年などはいかにも冬の装いでござい!といったような厚着をしたことは一度も無かったと仰っていた。東京育ちのHさんならではの説得力のある異常気象観だった。でもやはり冬は冬なので普段の朝晩には寒さに窓も曇るほどになったなあと思っていたら、Hさんのお話によると真空二重窓の開発により最近の新築のお宅ではそういうことも無くなっているのだそうだ。そういう進化で異常気象も乗り切れたら良いな〜と思う。
 

■ 2004年12月04日

12/04(土)

午後、Mさんが来て下さった。Mさんは不思議な縁で繋がった仲間をお持ちだ。普段は離れて暮らしているけれど、仲間の一人に何かがあった時には必ず揃ってお祝いしたり心配したりする。今日はこの後、その内のお一人の出産記念のお祝いの集まりがあるのだとMさんは嬉しそうに仰っていた。実は今年、Mさんのお兄さんにもお子さんは生まれているのだが、Mさんはその子とのご対面はまだ果たしていないのだとも仰っていた。家族よりも深い付き合いと存在の仲間達。Mさんはとても幸運な方だと思う。
 

■ 2004年12月03日

12/03(金)

午後、Iさんが来て下さった。来月、Iさんは8年間移住していた土地から離れ実家に戻ることにした。移住先の8年間ではアルバイトをしながらやりたい事を極められ、特別な役職にも就かれていた。実家に戻られた後、Iさんはすぐに南米へと旅立たれる。南米では先日旅行された一つの村に二ヶ月間滞在される予定だ。Iさんはご自身が安定しそうになると何故か壊したくなってしまうのだそうだ。それから先はまず人で、次に土地で、自分の惹かれ具合を推し量った上で新しい世界へと飛び込んで行かれるのだそう。「人間、自分を大切にして、安全を望むんだったら何も出来なくなってしまう。計算ずくで無い人生を体験することだ。」と岡本太郎は言っている。まさにその通りの人生を歩んでいる方だなあと思った。
夜、Hさんが来て下さった。Hさんは3年かけてお付き合いした方に自殺未遂をされ、それからまた3年間もその方とお付き合いを続けられた経験をお持ちだった。Hさんは僕よりほんの少しだけ年上の方なのだが、その優しく覗き込むような瞳の奥からは包容力が溢れまくりな気がする。大概のことは許し、その上共に頑張って貰えそうな気がしてしまう。そういう方だからこそ6年間もの修羅場を耐え抜くことが出来たように思うし、またその6年間によってHさんの懐の深さと大きさは益々パワーアップしていったように思う。僕もいろいろと見習って行かせていただきたい。先輩!と呼ばせていただきたい!!
 

■ 2004年12月02日

12/02(木)

吉祥寺のパルコの地下にあるリブロという本屋で あすなひろし の 青い空を、白い雲がかけてった と いつも春のよう と言う漫画本が平積みされているのを発見した。すぐさま購入した。この本屋は素晴らしい!僕の聖書的存在である 岡本太郎 の 自分の中に毒を持て〜あなたは常識人間を捨てられるか〜 と言う本はいつも平積みで山のように置いてあるし、西原理恵子 の白黒版漫画本 ぼくんち も大量に置いてあった(見つけた日に僕がほぼ全て買い占めてしまいましたが)。また、当HPの作文にも書いたことがある いましろたかし の分厚い愛蔵漫画本2500円もここで見つけて買った。
あすなひろしは僕が中学の時に見つけて熱狂した漫画家の一人で当時は週間少年チャンピオンに連載していた。あすなひろしの描く漫画は繊細で淋しげで温かくて重い。あすなひろしの描く主な登場人物は皆孤独だ。権力やお金や力では決して埋まらない孤独から逃れようとしてでもまた同じように孤独な相手を求めて行く。そんな深情けの止まらない熱みたいなものがあすなひろしはたまらなく好きなんだろうと思う。あすなひろしの漫画はギャグもシリアスも一緒くたに滑らかにリズミカルに話は進む。あすなひろしはリズムに徹底的にこだわる漫画家だったと思う。リズムを壊したくないからこその絵の上手さがあったと思う。あすなひろしは少女漫画でデビューして、青年誌での劇画作家に転向し、僕が見た頃は少年誌で地味ながら活躍していた。それからはずっとトッラクの運転手か日雇い労働等をして暮らしていたという噂があり、2001年に肺がんで60歳の若さでなくなる寸前の頃はジーメンというゲイ雑誌に連載を持っていた。ジーメンに載っていた漫画を少しだけ見たことがあるのだが、読んでいると胸がドキドキして頭の中を上下左右に伸ばされてしまうような錯覚に陥るくらい凄まじい迫力に満ち満ちていた。新宿で行われた展覧会で 田中一村 の原画を見た時も似たような感覚を覚えた。田中一村は絵を描くためだけに奄美大島に渡って晩年を過ごし半ばのたれ死にをした日本画家だ。名も無く貧しいけど強烈な志しのある人達がやっと辿り着き巡り合えたゴールというものを僕は目撃出来たんだと思う。すごく幸運だったと思う。伝えられたこの感動を、僕が持った時点で当然かなり薄くはなっているけれど、いつかなんらかの形で又伝えできたら良いなと思う。
 

■ 2004年12月01日

12/01(水)

夕方、Aさんが来て下さった。Aさんはなんと!タイへ出張している間に休暇も取りつつ時間をやり繰りしてタイマッサージを習得されて来た方だった。しかし日本に帰られてからは練習する機会も少なく、またタイマッサージを受けること自体もお好きだと言うことで、本日は復習の意味も兼ねて僕のタイマッサージを受けに来て下さったのだそうだ。Aさんのタイマッサージに対する熱い思いは僕にもビンビンと伝わって来た。励みになります!